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張 厚琬(ちょう こうえん)は中華民国の軍人・政治家。字は忠蓀。張之洞の孫(長男の子)。張燕卿や張仁蠡は叔父にあたるが、厚琬の方が年上である。 == 事績 == 清末に日本へ留学し、1911年(宣統3年)に陸軍士官学校第8期砲兵科を卒業した。帰国後の1912年(民国元年)12月に、北京陸軍大学教務長に就任している。その後、奉天派に属し、1922年(民国11年)には東省巡閲使署参謀処長などを歴任した。 1924年(民国13年)11月、張厚琬は北京政府で陸軍部次長に抜擢されている(翌年12月まで在任)。1926年(民国15年)7月、航空署督弁に任命され、翌年6月、航空署が北京政府軍事部に帰属したことに伴い、航空次長に転じた。同年、奉天市の陸軍講武堂で教務長に就任、後に校長に昇進している。その後、中東鉄道路警処処長に転じた。 国民政府による統一後の1932年(民国21年)4月、張厚琬は軍事委員会委員長侍従室高級参謀に就任した。1934年(民国23年)11月、河北省政府委員兼民政庁庁長に任ぜられ、省政府主席の于学忠を補佐している。翌1935年(民国24年)6月、河北省政府主席代理を務めたが、まもなく梅津・何応欽協定(何梅協定)が影響して于が罷免されたため、張も辞任を余儀なくされた。 これ以降、張厚琬の動向は不詳となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張厚エン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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