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張 厲生(ちょう れいせい、1901年6月17日 - 1971年4月20日)は、中華民国、台湾の政治家・外交官。中国国民党(国民政府)の政治家で、後に行政院秘書長、副院長などの要職をつとめた。旧名は維新。字は少武、星舟。 == 事跡 == === フランス留学前後 === 商人の家庭に生まれる。1917年(民国6年)、南開学校に入学した。なおこの時には周恩来が同学にあった。1920年(民国9年)11月、張厲生はフランスに留学する。フランス語を学習した後の1922年(民国11年)秋にパリ大学に入学する。社会学を専攻したほか、社会経済・政治経済も学習した。翌年冬には、パリで中国国民党に加入している。この頃、同じくフランスに留学していた周に対し、反共右派の立場から論争を展開した。 1925年(民国14年)夏、帰国し、張厲生は上海中山学院で主任教授に任命された。このとき、陳果夫と面識を得ている。翌年夏に国民党が北伐を開始すると、張は武漢に赴いてこれに参加した。1927年(民国16年)、王天培率いる国民革命軍第10軍で政治部主任に任じられた。 その後まもなく、杭州市市長邵元沖の下で市政府主任秘書となっている。同年、上海クーデター(四・一二政変)が発生すると、張は南京市党部監察委員となる。翌年3月には、国民革命軍総司令部秘書、国民党南京市党部党務指導委員を歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張レイ生」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chang Li-sheng 」があります。 スポンサード リンク
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