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張 君勱(ちょう くんばい)は中華民国の政治家・ジャーナリスト・教育者・哲学者。名は嘉森で、こちらでも知られるが、現在は字の君勱がより通用している。弟に政治家・銀行家・経済学者の張公権(張嘉璈)。 == 事績 == === 立憲派としての活動 === 10歳で上海広方言館に入学し、ここで張君勱は変法派の思想に傾倒していく。1902年(光緒28年)、秀才となり、翌年、南京高等学堂に進学した。ところが、まもなく張が拒俄義勇隊の一員となっていたことが学校側に漏れ、張は退学処分を受けてしまう。その後、湖南省に移り、長沙明徳学校、常徳師範学堂で教鞭をとった。 1906年(光緒32年)、張君勱は公費により日本へ留学し、早稲田大学政治経済科で学ぶ。この時にドイツ語も履修した。日本では、梁啓超や張東蓀と知り合い、翌年9月、梁が東京で組織した政聞社に加入している。張は立憲派の有力人士として東京で宣伝活動を続け、1909年6月には東京で咨議局事務調査会を設立し、8月には雑誌『憲政新志』を創刊した。1910年(宣統2年)帰国し、留学生試験を受けて翰林院庶吉士となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張君バイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zhang Junmai 」があります。 スポンサード リンク
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