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張 士誠(ちょう しせい)は、元末の群雄の一人。娘婿に潘元紹。 蘇州を拠点として江東に強大な勢力を誇り、朱元璋、陳友諒と覇を競ったが、朱元璋によって滅ぼされた。 元末に蜂起した群雄の多くは白蓮教の影響を受けた紅巾軍の系譜に属していたが、張士誠は紅巾軍には属していない。 == 生涯 == ===挙兵=== 泰州白駒場(現在の江蘇省塩城市大豊区)の人。郷里で官塩の舟運の傍ら、私塩の密売にも携わっていた。財を軽んじて人を施すのを好んだので、衆人の心を得ていたが役人、土豪とは利害が対立していた。 至正13年(1353年)に土豪から侮辱を受けたため張士義、張士徳、張士信ら3人の弟を含めた18人を率いて報復のために挙兵、塩丁ら多数がこれを加わり、たちまち泰州を落として参政の趙璉を殺害し、更に興化、高郵など江北の要地を占領する。翌至正14年(1354年)には誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張士誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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