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張敬尭[ちょう けいぎょう]
張 敬尭(ちょう けいぎょう)は清末民初の軍人。北京政府、安徽派、後に北方各派や満州国に属した。字は勲臣。 == 事績 ==
=== 北洋軍での台頭 === 県の下級官吏の家庭に生まれた。しかし張敬尭は若い頃は放蕩を尽くす。ついには盗賊に身を落として殺人を犯し、京津地区に逃げ込んだ。1896年(光緒22年)頃、袁世凱の新建陸軍に参加し、随営学堂で学んだ。その後、保定軍官学堂も卒業し、1911年(宣統3年)には、第6鎮第11協第22標標統となった。 1912年(民国元年)、旧制からの改組により、陸軍第6師第11旅第22団団長に任命された。1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)では、江西省で革命派の軍を撃破する上で功績があった。そのため、第6師第11旅旅長兼南昌衛戌司令に昇進している。1914年(民国3年)、第3混成旅旅長として河南省に駐屯した。白朗討伐に貢献したため、9月に第7師師長に昇進している。 1915年(民国4年)12月25日に護国戦争が勃発する。1916年(民国5年)1月に、張敬尭は袁世凱から第2路総司令に任命され、護国軍を討伐するために四川省へ出撃した。当初は、瀘州占領などの軍功により、袁から勲三位・陸軍上将位を授与された。しかし、次第に反袁世論の高まり等によって護国軍有利となり、張も護国軍に敗戦した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張敬尭」の詳細全文を読む
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