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張 文鑄(ちょう ぶんちゅう、)は、中華民国・満州国の軍人。字は鼎元。布特哈総管管轄区(現在の黒竜江省訥河市)の人。 == 事績 == 保定陸軍軍官学校第8期を卒業生〔王ほか主編(1996)、920頁。〕。1923年(民国12年)3月、陸軍軍官養成所騎兵区隊長となり、同年中に騎兵第12団少校団附、騎兵第4旅参謀長を兼任する。翌1924年(民国13年)7月に黒竜江省第2旅参軍官〔『大満洲帝国名鑑』「黒竜江省」、1頁による。王ほか主編(1996)、920頁は「参謀長」とする。〕となった。1925年(民国14年)2月に騎兵第5旅参謀長、9月に騎兵第4旅上校参謀長、12月に第8軍上校参謀と歴任している。1927年(民国16年)3月に第8軍軍部参謀処長となり、翌年4月には騎兵第17団団長、12月には歩兵第6団団長へと昇進・歴任した。1930年(民国19年)2月、騎兵第2団団長に転じている〔以上の軍歴は『大満洲帝国名鑑』「黒竜江省」、1頁による。なお王ほか主編(1996)、920頁によれば、いずれも時期は不明だが、騎兵第6団団長、(黒竜江省?)督軍公署参謀長も歴任したとしている。〕。 1931年(民国20年)9月の満州事変勃発後は関東軍に呼応し、馬占山討伐などに参画した〔。同年11月、騎兵第1旅参謀長に任ぜられ、満州国建国後の1932年(大同元年)4月1日に、黒竜江省警備司令部少将参謀長となっている。同年5月に第1支隊司令、7月に騎兵第1旅少将旅長と歴任し、9月1日に黒竜江省警備司令部少将司令官に就任した。翌1933年(大同2年)4月1日に中将司令官に昇進している〔『大満洲帝国名鑑』「黒竜江省」、1頁。〕。1934年(康徳元年)7月21日に第3軍管区司令(管轄:チチハル)、1939年(康徳6年)に第7軍管区司令(管轄:ジャムス)、1942年(康徳9年)1月15日に第4軍管区司令(管轄:ハルピン)と歴任した〔郭主編(1990)、1865-66頁。〕。同年9月に陸軍上将へ昇進〔、1944年(康徳11年)4月24日に吉興の後任として侍従武官長に任ぜられた〔郭主編(1990)、1766頁。〕。 満州国滅亡後、張文鑄は漢奸の罪に問われたとされるが、具体的な処分状況や没年等は不詳である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張文鑄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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