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張滋昉 張 滋昉(ちょう じほう、Zhāng Zīfǎng、道光19年(1839年)11月 - 光緒26年(1900年)11月21日)は明治時代の中国語教師。諱は景栻。字は袖海。別号に鼑昉?〔王宝平「明治時代に来日した張滋昉の基礎的研究」『アジア文化交流研究』第4号、2009年3月〕、匏翁。北京出身で、上海で訪中中の副島種臣と知り合い渡日、興亜会興亜黌、慶應義塾大学付属支那語科、旧制東京外国語学校、東京帝国大学等で中国語を教えたが、日中関係悪化や中風により不遇な晩年を過ごした。 == 生涯 ==
=== 来日前 === 道光19年(1839年)11月、順天府大興県(北京市大興区)に生まれた〔鱒澤彰夫「興亜会の中国語教育」『興亜会報告・亜細亜協会報告』第1巻、不二出版、1993年〕。南宋張浚、張栻の子孫〔。原籍は広東省瓊州〔孫点「己丑重九讌集会者姓氏録」『己丑讌集続編』巻下〕(海南省海口市)。国子監南学卒業〔。 1876年(光緒2年)、荊州で中国歴訪中の副島種臣に会い、後に上海に移って交流を深め、また種臣に同行していた曽根俊虎に北京官話を教えた〔二宮俊博「『逍遙遺稿』札記 ―シルレルとショオペンハウエルのこと及び張滋昉について」『椙山女学園大学研究論集』第33号人文科学篇、2002年3月〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張滋昉」の詳細全文を読む
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