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張 沢相(チャン・テクサン、1893年10月22日 – 1969年8月1日)は、大韓民国の政治家、独立運動家。字は致雨(チウ、)。号は滄浪(チャンナン、)。 == 経歴 == === 独立運動 === 慶尚北道漆谷郡に生まれる。15歳で日本へ渡り、1909年に早稲田大学へ入学したが、同年10月に起きた安重根による伊藤博文暗殺事件を受けて、翌1910年に中国・上海へ亡命し、独立運動に身を投じることとなる。 その後は、ロシアなどで亡命生活を送り、1919年にはドイツ経由でイギリスへ渡り、エディンバラ大学に入学するも、ここも中退した。 25歳でアメリカへ渡り、李承晩や趙炳玉などと交流を持つようになる。 29歳で再度渡英した後も抗日運動を続け、帰国した後には青丘倶楽部事件で逮捕されたこともある。以降は、日本の敗戦まで郷里で隠居生活を送ることとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張沢相」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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