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張玄ケン : ウィキペディア日本語版
張玄ケン[ちょう げんけん]

張 玄靚(ちょう げんけん)は、五胡十六国時代前涼の第8代の王。
== 生涯 ==
350年、第5代君主・世宗桓公張重華の庶子として生まれる。355年に第7代君主であった伯父の威王張祚が一族の張瓘によって殺されると、祖母の馬氏によって擁立され、第8代君主として即位した。
馬氏は張重華の時代から専横がひどかったが、幼少である張玄靚を即位させると、今度は同じく一族の張邕と共に専横を極めた。一説では馬氏は張邕と密通していたとされているが、このような中で張玄靚は若年の上にもともと惰弱との評判もあり、何も成すことができなかった。馬氏らは張玄靚の即位後に東晋の建興の年号を復活させるなど国内の安定に力を注ぐが、張瓘が簒奪を図ったため、尚書僕射宋混が張瓘を殺して輔政にあたり、その宋混が張邕によって殺され、張邕と叔父の張天錫とが輔政にあたるなどの混乱が見られた。これらの政争において実権を掌握した張天錫によって、363年に張玄靚は殺害された。享年14。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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