翻訳と辞書
Words near each other
・ 張特
・ 張猛
・ 張猛 (武威太守)
・ 張猛龍碑
・ 張献忠
・ 張玄
・ 張玄ケン
・ 張玄セイ
・ 張玄墓誌
・ 張玄靚
張玉
・ 張玉勤
・ 張玉峰
・ 張玉貞
・ 張玘
・ 張玘 (天順八年進士)
・ 張玘 (天順四年進士)
・ 張玘 (曖昧さ回避)
・ 張珉碩
・ 張琦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

張玉 : ウィキペディア日本語版
張玉[ちょうぎょく]

張玉(ちょうぎょく、? - 1400年)は、元末明初の将軍。は世美。
元朝恵帝に仕え、、1368年至正28年)に朱元璋徐達の軍勢により大都が陥落すると、トゴン・テムルに従って北走、北元に仕えた。張玉が明朝に仕官した時期については諸説があるが、1370年(至正30年/洪武3年)のトゴン・テムル没後だと推測される。
洪武帝崩御後に靖難の変が発生すると、朱棣に従い建文帝軍との戦闘で各地を転戦した。張玉は軍略よりも人心の機微に優れ、奪った敵城における人身の掌握など事後処理面が高く評価されている。李景隆耿炳文など建文帝軍の稚拙な指揮にも助けられて建文帝軍を各地で撃破している。1400年建文2年)、兵力で勝る建文帝軍は盛庸が指揮する軍勢により東昌にて朱棣を包囲した。この際に張玉は決死隊を募り城外出撃を敢行し、敵軍を攻撃、建文帝軍は包囲を解除せざるを得なくなり、朱棣は危機を脱することができたが、張玉自身も戦死している。
朱棣が即位(永楽帝)すると、張玉の死を悼み都指揮同知と栄国公を追贈されている。
== 参考文献 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「張玉」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.