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張瓊[ちょう けい] 張 瓊(ちょう けい、生年不詳 - 537年)は、中国の北魏から東魏にかけての軍人。字は連徳。本貫は代郡。 ==経歴== 北魏に仕えて盪寇将軍となり、朔州征虜府外兵参軍となった。葛栄の乱に参加し、葛栄が敗れると、爾朱栄の下で都督となった。元顥を討って功績を挙げ、汲郡太守に任じられた。530年、東道慰労大使となり、行唐県子に封ぜられた。太尉長史に転じ、河内郡太守として出向し、済州刺史に任じられた。爾朱兆が敗れると、高歓に帰順し、汾州刺史に転じた。東魏が建国され、高歓が夏州に勝利すると、張瓊は慰労大使となり、夏州に駐屯した。537年、夏州が宇文泰による攻撃を受けると、張瓊は夏州刺史の許和に殺害されて、夏州の地は西魏に降った。使持節・燕恒雲朔四州諸軍事・大将軍・司徒公・恒州刺史の位を追贈された。 子に張忻・張遵業があった。張忻は、北魏の平陽公主を妻とし、駙馬都尉・大将軍・開府儀同三司・建州刺史に任じられ、南鄭県伯に封じられた。張遵業は、安西将軍・建州刺史となり、侯景に捕らえられた。侯景が敗れると、渦陽で殺害された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張瓊」の詳細全文を読む
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