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張 祚(ちょう そ)は、五胡十六国時代の前涼の第7代君主。文王張駿の長男。 == 生涯 == 異母弟の桓王が没すると、その遺命によって甥の哀公張耀霊の輔政に任じられたが、建興41年(353年)に腹心の趙長らと謀って哀公を廃し、その位を簒奪した。後に政変で張耀霊を再び擁立する動きがあったため、これを殺害した。 初め涼州牧、涼王を称したが、建興42年(354年)に帝を称して和平と改元した。 諫言を行った馬岌を罷免し、功臣のを殺害するなど、暴政を敷いて周囲の反感を買い、和平2年(355年)に一族の河州刺史張瓘と尚書僕射宋混らによって、家族もろとも殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張祚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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