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張穆之[ちょう ぼくし] 張穆之(ちょう ぼくし、生没年不詳)は、南朝宋の政治家。蕭衍の外祖父。字は思静。本貫は范陽郡方城県。 == 経歴 == 宋の濮陽郡太守の張次恵の子として生まれた。晋の司空張華の六世の孫にあたる。元嘉年間、員外散騎侍郎となった。吏部尚書の江湛や太子左率の袁淑と仲が良く、袁淑が始興王劉濬に穆之を推薦すると、劉濬は穆之を信任した。穆之は建康に禍乱のきざしがあるのを見て、難に遭うのを避けるために、江湛に言って外任を求めた。江湛は東県で任用しようとしたが、穆之が遠郡での任を強く求めたため、寧遠将軍・交阯郡太守となった。治績を挙げ、ときに刺史が死んで交州で大乱が起こると、穆之は硬軟両用の対処で領内を安定させた。文帝がこのことを聞くと賞賛し、穆之は交州刺史に任じられるところだったが、病没した。 南朝梁が建国されると、光禄大夫に追贈され、金章紫綬を加えられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張穆之」の詳細全文を読む
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