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張維翰[ちょう いかん]
張 維翰(ちょう いかん)は中華民国(台湾)の政治家・法学者。雲南派の唐継尭や竜雲の配下であったが、1930年代以降は国民政府中央に活動の場を移した政治家である。字は蒓漚。 == 事跡 ==
=== 初代昆明市長 === 公立雲南法政学堂を卒業し、1908年(光緒34年)に新建陸軍第19鎮第37協随営学堂で教師兼司令部秘書となる。昆明重九起義(雲南辛亥革命)には革命派として参加した。 1912年(民国元年)に国民党に加入したものの、まもなく雲南派指導者の唐継尭配下となる。以後、雲南省行政公署総務科科長、黒塩井区塩務督煎総弁兼塩興県知事、箇旧県知事を歴任した。1915年(民国4年)12月の護国戦争では護国軍に与し、袁世凱を支持する広東将軍竜済光の軍と交戦、張は重傷を負っている。その後護国軍が勝利した頃には回復し、翌1916年(民国5年)7月、四川入りしていた蔡鍔に招聘され、四川督軍公署秘書長に任ぜられた。翌年秋、雲南に戻っている。 1918年(民国7年)冬、張維翰は唐継尭に派遣されて広州軍政府が開催した地方行政会議に出席する。まもなく張はそのまま日本に向かい、東京帝国大学で東京市政など地方行政を学んだ。1922年(民国11年)3月、雲南省に戻り、蒙自道尹に任命され、あわせて昆明市市政実施の準備を開始する。同年8月、昆明市設置に伴い、張が初代の昆明市政公所督弁(昆明市長に相当)に抜擢された。なお、同職に在った間に張は3度来日し、東京市の関東大震災からの復興状況や全国都市行政の状況を視察している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張維翰」の詳細全文を読む
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