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張 義純(ちょう ぎじゅん)は、中華民国の軍人。国民革命軍に属す一方で新広西派(新桂系)の有力軍人であるが、新広西派幹部には珍しい非広西出身者である。字は靖伯。 == 事跡 == === 新広西派への加入 === 1916年(民国5年)8月に保定陸軍軍官学校第3期砲兵科を卒業する。その後、奉天派の軍で主に経歴を重ね、1922年(民国11年)冬に福州洪山橋兵工廠総弁に任ぜられ、1924年(民国13年)には第24混成旅団長兼第1支隊司令に任命された。1925年(民国14年)、執政府軍務庁第4処科長兼代理処長となる。その翌年には直隷省軍務督弁軍務処長署理を務めた。 同年、張義純は国民革命軍に易幟して広東に赴き、第6軍第17師副師長兼団長(第6軍軍長:程潜)に任ぜられる。まもなく新広西派(新桂系)へ所属を改めることになり、北伐では「小張飛」と渾名されるほどの勇戦で、新広西派の指導者李宗仁や白崇禧からも一目置かれたという。〔「張義純」『安徽省志』〕張はこの時の軍功により、第19軍第2師師長、第18軍副軍長、第13師師長、第56師師長と歴任した。 しかし1929年(民国18年)3月からの蒋桂戦争で新広西派は敗北し、張義純は失脚に追い込まれてしまう。1932年(民国21年)、張は広西省に赴いて復職し、第15軍参謀長に任ぜられた。後に広西民団幹部学校副校長も務めている。1936年(民国25年)1月に陸軍少将に任ぜられ、同年10月には陸軍中将に昇進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張義純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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