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張 赫宙(ちょう かくちゅう/チャン ヒョクチュ、1905年10月13日 - 1997年)または野口赫宙(のぐち かくちゅう)は、在日朝鮮人の作家。 金史良とともに「在日朝鮮人文学」の嚆矢とされる。 はじめプロレタリア文学の影響を受けて、デビュー作「餓鬼道」などの初期作品では、朝鮮民衆の貧困と悲惨、そして闘争を描いた。しかし、徐々に純文学にうつり、更に「加藤清正」など、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」に題材をとった歴史小説や、更には「岩本志願兵」のような軍国小説を発表したため、戦後は「親日文学者」の代表的存在として評価されることが多い。 戦後は日本人妻の籍に入って定住した。「張赫宙」という姓名は朝鮮戦争の悲惨を描いた「嗚呼朝鮮」(1952年)を最後に、「野口赫宙」を名乗るようになった。歴史小説からミステリーまで幅広く描き、晩年は英語でも小説を書き、また日本民族のルーツを探る文明論を展開した。 == 来歴 == *1905年10月7日、朝鮮慶尚北道大邱府の地主の子として生まれる。本名、張恩重(チャン・ウンジュン、장은중)。慶州の鶏林普通学校及び簡易農業学校で大坂六村(大坂金太郎)の影響を受け、歴史と日本語に関心を寄せる。14・5歳の頃結婚。20歳の頃アナキストの団体に加入。1929年小学校の教員となる。 *1932年4月雑誌『改造』の懸賞小説に「餓鬼道」が入選、保高徳蔵の『文芸首都』同人となる。34年、改造社から小説集『権という男』を出版。この頃は朝鮮語でも書き東亜日報などに発表していた。この頃野口はな子(通名「桂子」)と結婚。 *1938年、張赫宙脚本の「春香伝」が村山知義の新協劇団によって日本と朝鮮で巡回公演される。 *1939年に大陸開拓文芸懇話会に参加するなど、徐々に日本の戦時体制に組み込まれて活動していくようになり、1943年には皇道朝鮮研究委員会委員となる。1944年には国策に沿った小説集『岩本志願兵』を出版した。 *1945年8月15日を日本人妻(野口桂子)とともに迎え、1952年には帰化申請し「野口稔」となる。 *1952年に出版した『嗚呼朝鮮』が張赫宙名で書いた最後の作品となり、次の『無窮花』では野口赫宙名で出版している。その後も自伝作品、歴史小説、ミステリー、癌問題を扱った作品など多様に作品を残し、アメリカや中東を取材旅行するなど老いても盛んで、英文の小説も出版した。 (『張赫宙日本語作品選』収録の白川豊「張赫宙略年譜(一九四五年以前中心)」を参考にした) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張赫宙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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