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張鎮芳[ちょう ちんほう]
張 鎮芳(ちょう ちんほう)は清末民初の政治家・官僚。北京政府の要人で、張勲復辟にも加担した。字は馨庵。 == 事跡 == 1892年(光緒18年)、壬辰科進士となる。以後、翰林院編修、戸部主事、北洋銀元局会弁、永七塩務局総弁、陸軍糧餉局総弁、行営営務処総弁、清理財政局総弁、禁煙局総弁、直隷銀行督理、財政総匯処幇弁、湖広総督後路軍軍需局総弁、長蘆塩運使兼護直隷梟司、湖南提法使、度支部承参行走などを歴任した。 中華民国が成立すると、1912年(民国元年)2月に署直隷都督、次いで同年3月、署河南都督に任命された。同年10月、正式に河南都督に任命され、翌年1月、民政長を兼任した。しかし、白朗討伐に無力であったため、袁世凱から罷免されてしまう。1914年(民国3年)2月、参政院参政に異動し、1915年(民国4年)の袁の皇帝即位を支持した。 1916年(民国5年)6月に袁世凱が死去すると、張鎮芳は張勲を頼る。1917年(民国6年)7月の張勲復辟の際には、内閣議政大臣、度支部尚書となった。復辟失敗後、張鎮芳は逮捕されて刑罰を科される。1920年(民国9年)に釈放された。以後は天津で塩業銀行経理兼董事長をつとめた。 1933年(民国22年)、病没。享年71。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張鎮芳」の詳細全文を読む
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