翻訳と辞書
Words near each other
・ 彭州
・ 彭州市
・ 彭帥
・ 彭徳懐
・ 彭徳懐故居
・ 彭政閔
・ 彭明敏
・ 彭昭賢
・ 彭景華
・ 彭東原
彭毓橘
・ 彭水
・ 彭水ミャオ族トゥチャ族自治県
・ 彭水土家族苗族自治県
・ 彭水県
・ 彭水苗族土家族自治県
・ 彭沖
・ 彭沢
・ 彭沢県
・ 彭浦新村駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

彭毓橘 : ウィキペディア日本語版
彭毓橘[ほう いくきつ]
彭 毓橘(ほう いくきつ、''Peng Yuju''、1824年 - 1867年)は、湘軍の将帥。
湖南省湘郷出身、曽国荃のいとこ。湘軍に加入後、曽国荃に従って江西省に救援に赴き、戦功をたてた。県丞に任命され、さらに知府に昇進した。諸軍とともに長江沿岸の太平府蕪湖などの要衝を攻略し、道員に抜擢され、バトゥルの称号を与えられた。
天京攻防戦での功績は大きく、布政使記名(将来の布政使就任を約束されること)となり、一等軽車都尉の世襲職を授かった。福建汀漳龍兵備道となるが、就任する前に曽国荃の推薦で湘軍を率いて湖北省に赴き、捻軍の掃討にあることとなった。1867年3月、軍が蘄水に到着したとき、彭毓橘は数百人の小隊を率いて地形を調査していたが、麒麟凹で捻軍に包囲され、戦闘の末に彭毓橘の馬は泥に脚を取られ、捕えられて殺害された。
朝廷は布政使が戦死したときの形式で葬礼を行い、祠を建て、内閣学士の官職、忠壮の諡号、騎都尉の世襲職、三等男爵の爵位が贈られた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「彭毓橘」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.