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陰流(かげりゅう)は、室町時代、文明15年(1438年)頃、伊勢愛洲氏の一族の愛洲久忠(愛洲移香斎)が編み出した武術の流派で兵法三大源流の一つ。「陰之流」「愛洲陰之流」「猿飛陰流」「影流」とも。 なお流派名について「陰」ではなく「影」ともされる。また猿飛陰流は久忠の子と言われる愛洲元香斎小七郎が陰流に工夫を加えて名乗った流派とされている。新陰流系の流派に愛洲陰流を名乗る流派が複数系等存在する。 == 概要 == この流派を基に上泉信綱が新陰流(新影流)を開いた事で有名である。「撃剣叢談」やいくつかの系統の新陰流の伝書に依ると、上泉に陰流を伝授したのは久忠の子の愛洲宗通(愛洲小七郎)となっている。元禄元年に松下見林が『異称日本伝』で『武備誌』記載の「影流之目録」を一部紹介した。目録には「猿飛」「猿回」「山陰」等の太刀名がみられる。新陰流では最初に学ぶ事になっている「燕飛」は陰流の「猿飛」であると伝承されている。 陰流自体は江戸時代以降伝承が少なく、文献上で元禄年間、松下見林の「異称日本伝」で紹介された「武備志」の「影流之目録」で「猿飛」「猿回」「山陰」が、天保年間刊行の「撃剣叢談」で「武芸原始 影流」として言及されていることなどがある。また、東京国立博物館には愛洲陰之流の古文書が所蔵されている。 *愛洲陰之流目録 東京国立博物館 室町‐桃山時代 1790年(寛政2年)刊行の三上元流の「撃剣叢談」では「武芸原始 影流」と記載され剣法の源流とされている。 なお影流と書かれる事も多いが、平澤家の愛洲宗通の残した記録〔 秋田市平澤家文書 〕や、国立博物館の目録でもカゲは陰と書かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陰流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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