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後撰和歌集 : ミニ英和和英辞書
後撰和歌集[ごせんわかしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
和歌 : [わか]
 【名詞】 1. 31 syllable poem 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌集 : [かしゅう]
 【名詞】 1. anthology 2. book of poetry 
: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 

後撰和歌集 : ウィキペディア日本語版
後撰和歌集[ごせんわかしゅう]

後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)は、村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。体裁は『古今和歌集』に倣い、春(上・中・下)、夏、秋(上・中・下)、冬、恋(六巻)、雑(四巻)、離別(附 羇旅)、賀歌(附 哀傷)の二十巻からなり、総歌数は1425首。離別歌と羇旅歌とを、賀歌と哀傷歌とを併せて収めた所が独特である。
== 成立 ==
後撰和歌集には、古今和歌集のような序文が付されていないため、その成立年時は不明である。だが、天暦5年(951年)10月、宮中の昭陽舎(梨壺)に撰和歌所が置かれ、その寄人に任命された源順大中臣能宣清原元輔坂上望城紀時文(以上、梨壺の五人)が中心となって『万葉集』の訓詁と新たな勅撰集の編纂に当たり、藤原伊尹が別当となってそれを統括した旨、史書〔源順『本朝文粋 巻十二 奉行文』、pp.342。新日本古典文学大系本。〕〔「後撰和歌集 藤原定家天福2年書写本書入定家勘物」、p.443、新日本古典文学大系本。〕に見えるので、遅くとも天暦末年には奏覧されたと見られる。奥村恒哉〔奥村恒哉校注・解説「八代集 1」、平凡社東洋文庫参照。〕は、作者名の表記の仕方から、天暦9年から天徳2年(958年)の間に成立したとする。また山口博〔山口博「王朝歌壇の研究」がある、桜楓社。〕は、天暦7年(953年10月28日に皇太后藤原穏子により昭陽舎で菊合が開かれており、穏子は翌年昭陽舎で没していることから、その頃には完成していたとしている。しかしいずれの説も定説とはなっていない。
また、序文がないことや詞書が物語的であること、部立てと配列の乱れ、歌の重出などから、後撰和歌集が「未定稿」であったとする説が古来からあり、藤原清輔北村季吟、中山美石などが主張している。村瀬敏夫〔村瀬敏夫には「平安朝歌人の研究」がある。新典社研究叢書、1994年。〕は、天徳4年(960年9月23日内裏の火災があり、その際に奏覧本(正式な本)が炎上したために、草稿本が流布し後世に伝来したのではないかとしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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