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後藤修 : ミニ英和和英辞書
後藤修[ごとう おさむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

後藤修 : ウィキペディア日本語版
後藤修[ごとう おさむ]

後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手投手。左投左打)・ゴルフ指導者。
== 来歴・人物 ==
静岡県立磐田南高等学校卒業。アマチュア時代からトレーニング方法の手紙のやりとりがあった新田恭一松竹ロビンス監督に就任した関係で、にプロ野球界に入る〔ゴルフ・ノンフィクション、ゴルフダイジェスト社、1999年、338-358頁〕〔奇跡の300ヤード打法、後藤修、315頁〕。
プロ野球選手時代は1952年の松竹ロビンスを皮切りに、に大洋松竹ロビンス、に東映フライヤーズ、に大映スターズ、に読売ジャイアンツ、に近鉄バファロー、に南海ホークス、に西鉄ライオンズ日本プロ野球史上最多の8球団を渡り歩き、移動型民族になぞらえて「ジプシー後藤」「ジプシーの修」と呼ばれた。
プロ入り時の松竹以外はすべてテスト入団でありながら、移籍する度に年俸が上がっていった。野球協約をしっかり読み込み、契約交渉に役立てた結果であった。
引退後は、野球評論家として活動。サンテレビで解説(1972年のみ〔サンテレビジョン45年史「阪神タイガース戦中継の歩み」74頁〕)、スポーツニッポン紙上で評論を行っていたほか、1968年から1972年まで週刊文春にて「ジプシー球談」を連載。その後、ゴルフのコーチに専念。中嶋常幸尾崎将司などを指導した。鈴木亨すし石垣も元門下生の一人である〔ゴルフ・ノンフィクション、338-358頁〕〔奇跡の300ヤード打法、315頁〕。ゴルフに関する著書も発表している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「後藤修」の詳細全文を読む




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