|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 後 : [のち] 1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 朝 : [あさ, ちょう] (n-adv,n-t) morning
後藤 朝太郎(ごとう あさたろう、1881年4月16日 - 1945年8月9日)は、日本の明治時代後期-昭和時代前期の言語学者。日本大学教授、東京帝国大学講師。昭和初期における「支那通」の第一人者と呼ばれる。書家としても活動し、号は「石農」。 ==略歴== 愛媛県に生まれた。第五高等学校卒業後、東京帝国大学文科大学言語学科入学、中国語学を専攻。1911(明治44)年に卒業し、大学院へ進学した。文部省、台湾総督府、朝鮮総督府嘱託を経て、のちに日本大学教授と東京帝国大学講師になる。敗戦の年、1945(昭和20)年8月9日交通事故で死亡、享年65。暗殺されたという説もあるが不明。彼の著書、編著は110冊を越える〔劉家鑫「後藤朝太郎・長野朗子孫訪問記および著作目録」『環日本海論叢』第14号、1998年、28-47頁。〕。 主な著書に「文字の研究」「支那風物誌」など。戦前の大陸へ渡り、当時の中国の風俗や文化を取材しながら、本を何冊も執筆している。中国大陸への関心が高かった当時は広く読まれた。また、第二次世界大戦前にとどまらず、戦時中も現地人になりすまし、庶民が行くような飯屋にかよって大衆料理に舌鼓を打ったり、知名の人士との交流を絶やすことはなかった。 == 著作 == *1902年 - 『漢字音の系統』、六合館 *1910年 - 『文字の研究』、成美堂書店 *1915年 - 『文字の沿革 建築編』、成美堂書店 *1923年 - 『文字の智識』、紅玉堂書店 *1927年 - 『支那風俗の話』、大阪屋号書店 (2009年に大空社より再刊) *1925年 - 『歡楽の支那』、北隆館 *1928年 - 『阿片室 支那綺談』、万里閣書房 ::: 『お隣の支那』、大阪屋号書店 *1929年 - 『翰墨談』、富士書房 *1931年 - 『翰墨行脚』、春陽堂 ::: 『時局を縺らす支那の民情』、千倉書房 *1937年 - 『支那民俗の展望』、富山房 (2002年に大空社より再刊) ::: 『文房至宝』、雄山閣 ::: 『隣邦支那』、今日の問題社 *1938年 - 『最新支那旅行案内』、黄河書院 ::: 『長江千里』、高陽書院 *1942年 - 『南洋の華僑』、高山書院 ::: 『支那書道』、黄河書院 *1943年 - 『文字講話』、黄河書院 ::: 『文字史』 - 高山書院 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤朝太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|