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後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年(大正6年)4月23日 - )は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。 == 経歴 == 大阪府西成郡今宮村に生まれる。神戸一中、旧制一高を経て、1931年に大阪大学物理学科を卒業。戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。1947年、大阪市にボン電気会社を設立。1951年、父夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。 1961年「ホトトギス」同人。1976年、夜半の死により「諷詠」主宰を継承。1985年、波電子工業社長を退き俳句一筋となる。1987年、俳人協会副会長、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ会長、大阪俳句史研究会代表理事などに就任。2012年、「諷詠」主宰を息子の立夫に譲り同名誉主宰となる。2013年現在、俳人協会顧問、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ顧問、兵庫県俳句協会顧問、大阪俳句史研究会顧問、虚子記念文学館理事、「玉藻」同人会名誉顧問、星野立子賞選考委員などを務めている。 代表句に「東山回して鉾を回しけり」など。夜半の上方風を受け継ぎつつ、ホトトギス派の信条である客観写生、花鳥諷詠を追求。また物理学で培われた知的な視線、新鮮な題材への取り組み、擬人法の開拓などにおいても評価を得ており、戦後以降のホトトギス系の俳人の中でも特に目立った活躍を見せている。なお叔父は喜多流の能楽師の後藤得三と喜多実、比奈夫の姉も喜多流の宗家の内弟子と結婚しており、このため比奈夫の句の背景として能楽が言及されることも多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤比奈夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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