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徐勉[じょ べん] 徐勉(じょ・べん、466年 - 535年)は、南北朝時代の梁の政治家。字は脩仁。諡は簡粛公。 == 生涯 == 東海の郯に生まれる。父の融は南昌の相であったが幼い時から孤児となり、貧しいなか勉学を好み、梁の武帝に信任されるに至る。中書侍郎を拝命してから侍中・吏部尚書・左僕射・中書令と昇進した。武帝に礼制の統一を建議して容れられ、五礼(吉・凶・軍・賓・嘉)を修訂し、梁律を立て、国子学を起こし、州郡に学校をつくり子弟の教育、官吏の養成に励んだ。大同元年に逝去。享年70。武帝はこの報を聞いて涙を流し、車駕で葬列に臨席した。さらに光禄大夫を贈位し、東園の秘器・朝服・銭帛を賜った。 人となりは清廉、日常生活はすこぶる質素であり、「人は子孫に遺すに財を以てする。我は子孫に遺すに清白を以てせん」と云ったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徐勉」の詳細全文を読む
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