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徐堪[じょ かん]
徐 堪(じょ かん)は、清末の革命家、中華民国の政治家。国民政府で財政・金融の要職を歴任した人物で、国共内戦期に財政部長となった。旧名は代堪。字は可亭。 == 事跡 ==
=== 民初の活動 === 1906年(光緒32年)春、成都通省師範学堂に入学する。翌年、中国同盟会四川支部において同会に加入した。同年9月、反清蜂起計画に参加したが、事前に漏れたため、陝西省に逃亡している。その後も同盟会の指示を受け、国内各地で革命活動に従事した後、四川省に戻った。1910年(宣統2年)初めに四川高等警官学堂に入学している。 1911年(宣統3年)夏、四川鉄道保護運動(保路運動)が勃発すると、徐堪もこれに参加した。同年11月、重慶で蜀軍政府が成立すると、徐はこれに加わり、蜀軍第4標標統に任ぜられている。中華民国成立後の1913年(民国2年)8月、第二革命(二次革命)が勃発すると、革命派の熊克武・楊庶堪らと共に反袁世凱の蜂起を行ったが、敗北して上海に逃げ込んだ。このときに、名を「代堪」から「堪」に改めた。護国戦争に際しても、反袁活動に従事している。 1918年(民国7年)、徐堪は四川省に戻り、川滇靖国軍第1路司令部軍需処長県江北県県長に任ぜられる。翌年、四川で補欠選出の国会議員となった。1921年(民国10年)4月、広州非常国会で、孫文(孫中山)の非常大総統選出に加わっている。1922年(民国11年)以降は北京で中国国民党のための活動に従事した。1924年(民国13年)の北京政変(首都革命)後に、一時、農工部商品陳列所所長に就任している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徐堪」の詳細全文を読む
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