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徐 幹(じょ かん、171年 - 218年)は、中国後漢末期の政治家・文人。字は偉長。青州北海郡劇県の出身。建安七子の一人。 旧家の生まれであったが家は貧しかった。しかし品行は優れ、文章も美麗典雅であった。建安年間、曹操に仕えて司空軍謀祭酒掾属・五官将文学へ昇進した。詩賦に長じ、曹丕からは「誠に頻々たる君子といえよう。その著書『中論』二十篇は、よく一家の言をなしたものであり、彼こそは不朽の人物である」とその才能を愛され、絶賛された。建安23年(218年)、華北で流行した疫病に倒れ死去した。享年48。 == 参考文献 == * 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』P159(徳間書店, 1994年11月) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徐幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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