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徐敬成 : ウィキペディア日本語版
徐敬成[じょ けいせい]
徐敬成(じょ けいせい、540年 - 575年)は、南朝陳軍人本貫安陸郡
== 経歴 ==
徐度の子として生まれた。幼くして聡明で、読書を好んだ。若くして機知に富み、占いを得意とし、文人や義士と交友して、鑑識眼で知られた。末に著作郎を初任とした。557年永定元年)、陳が建国されると、敬成は父の部下の兵士を預かり、周文育侯安都の下で王琳を討ち、沌口で敗戦して王琳に捕らえられた。558年(永定2年)、周文育・侯安都らに従って帰朝し、太子舎人に任じられ、太子洗馬に転じた。559年(永定3年)、父の徐度が呉郡太守となると、敬成はその下で監郡をつとめた。561年天嘉2年)、太子中舎人に転じ、湘東郡公世子となった。563年(天嘉4年)、徐度が湘州から建康に召還されると、敬成は湘州の徐度の部下を引き継いだ。章昭達の下で陳宝応を討った。564年(天嘉5年)、晋安郡が平定されると、敬成は貞威将軍・豫章郡太守に任じられた。567年光大元年)、華皎が反乱を起こすと、敬成は仮節・都督巴州諸軍事・雲旗将軍・巴州刺史となった。水軍を率いて呉明徹の下で華皎を討った。華皎の乱が平定されると、巴州に帰った。568年(光大2年)、父が死去したため、辞職して喪に服した。まもなく再起して持節・都督南豫州諸軍事・壮武将軍・南豫州刺史に任じられた。572年太建4年)、湘東郡公の爵位を嗣ぎ、太子右衛率に任じられた。
573年(太建5年)、貞威将軍・呉興郡太守となった。呉明徹が北伐して秦郡に進出すると、敬成は都督として別に派遣され、戦艦金翅に乗って欧陽引埭(堰)から長江を遡り、広陵に入った。北斉の諸軍はみな自城を守って、出て戦おうとしなかった。敬成は繁梁湖から淮水を下り、淮陰城を包囲した。そのまま監北兗州をつとめた。淮水・泗水の流域で陳に帰順する者が相次ぎ、12日間で兵は数万にふくれあがった。淮陰郡山陽郡塩城郡を落とし、あわせて連口・朐山の2戍を陥落させた。さらに鬱州に進攻して平定した。功績により通直散騎常侍・雲旗将軍の位を加えられた。さらに壮武将軍の号を受け、朐山に駐屯した。軍中の犯罪に連座して免官された。まもなく再起して、持節・都督安元潼三州諸軍事・安州刺史に任じられ、宿預に駐屯した。575年(太建7年)、死去した。享年は36。散騎常侍の位を追贈された。は思といった。
子の徐敞が後を嗣いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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