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徐福[じょふく]
徐福(じょふく)は、中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士〔方術に秀でた者・学者。〕。斉国の琅邪の出身。別名は徐巿(じょふつ〔巿(ふつ)は「一」と「巾」から成り、市(いち)は「亠」+「巾」から成る別の字である。〕)。 == 『史記』による記述 == 司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。 東方の三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことである。蓬莱山についてはのち日本でも広く知られ、『竹取物語』でも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記している。「方丈」とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、「方壷(ほうこ)」とも呼ばれる。瀛州はのちに日本を指す名前となった〔。「東瀛(とうえい)」ともいう。魏晋南北朝時代の487年、「瀛州」は、行政区分として制定される。 同じ『史記』の「秦始皇帝本紀」に登場する徐氏は、始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ、援助を得たものの、その後、始皇帝が現地に巡行したところ、実際には出港していなかった。そのため、改めて出立を命じたものの、その帰路で始皇帝は崩御したという記述となっており、「不死の薬を名目に実際には出立せずに始皇帝から物品をせしめた詐欺師」として描かれている。現在一般に流布している徐福像は、ほとんどが「淮南衡山列伝」に基づいたものである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徐福」の詳細全文を読む
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