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徐稚[じょ ち] 徐 稚(じょ ち、97年 - 168年)は、後漢の隠士。字は孺子、号は聘君。「南州高士」と称せられる。 ==生涯== 南昌(現在の江西省南昌市)の人。家は貧しかったが、農耕に従事し自力で生計を立てることを旨とした。恭倹謙譲であり、周囲はその徳に服す。しばしば官職に就くよう招かれたが応ぜず、太守の陳蕃が礼をもって請うたのでやむなく訪問し、拝謁が終わるとすぐに帰った。その陳蕃はもともと賓客を好まず、徐稚のためだけに椅子一脚をあつらえ、彼が帰るとその椅子を片付けたという。桓帝は太原の太守に任命するとして徐稚を召したが、これにも応じなかった。延熹2年(159年)に尚書令になった陳蕃と僕射の胡廣が上疏して徐稚を賞賛し、帝も礼をもって迎えようとしたがついに来なかった。霊帝の初年にふたたび召そうとした矢先に没する。享年72。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徐稚」の詳細全文を読む
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