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徐誥 ( リダイレクト:李ベン ) : ウィキペディア日本語版
李ベン[り べん]

李 昪(り べん)は、十国南唐の初代皇帝廟号烈祖。南唐を正統の王朝として認めない立場からは先主と呼ばれる。
幼少の頃に、淮南に勢力を張ったの重臣の徐温の養子となる。後に徐温の実子を排除して、徐温の後継となる。そして、ついには呉の睿帝から禅譲を受けて、皇帝となって南唐を建国した。即位後は戦争を起こさず、善政を尽くした。
==生涯==

===幼少期===
初名は徐知誥。その出身や幼少期の様子はよくわからない。確かなことは数えで8歳頃(895年)に徐温の養子となったということである。
李昪は皇帝に即位した後は憲宗の八男の建王李恪の玄孫であると称したが、これが事実かどうかはわからない。『資治通鑑』には、皇帝となった後の李昪が役人に自分の祖先を誰にすべきかを諮問した記述すらある。
また、出身地もはっきりとしたことはわからないが、徐州の出身であるとしている記録が多い。『旧五代史』では海州の出身であるとしているが、これは養父の徐温の出身地と同じである。
徐温の養子となった経緯も詳しくはわからないが、大方の記録で大筋は一致している。すなわち、乾寧2年(895年)、後に呉を建国する楊行密が濠州を攻めた際に孤児を発見し、その子を楊行密自らが引き取った。この孤児こそが後の李昪である。しかし、この子が楊家の中で、楊行密の長男の楊渥と折り合いが悪かったために、楊行密は配下の徐温の養子とさせた。
徐温の家に預けられてからは、徐知誥と名付けられ、優秀な青年として育った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Li Bian 」があります。




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