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徐謙 : ウィキペディア日本語版
徐謙[じょ けん]
徐 謙(じょ けん)は、中華圏の人名。中華民国において、同姓同名の2人の要人が存在する。
*徐謙 (江西) - 中華民国の政治家・法学者。本記事において詳述する。
*徐謙 (甘粛) - 中華民国の政治家。新疆省の政治家。新疆の統治者である楊増新の下で、省政務庁長、財政庁長などを歴任した。
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徐 謙(じょ けん)は、清末中華民国の政治家・法学者。北京政府国民政府で主に司法部門の要職につく。中国国民党左派・反蒋介石派として福建事変にも参加した。季龍。教名は喬治。別署名は黄山樵客。祖籍は安徽省歙県
== 事績 ==

=== 清末民初の活動 ===
1902年光緒28年)、壬寅科挙人となる。翌年、癸卯科進士となった。訳学館に入学して、法律政治科を専攻した。1904年(光緒30年)、仕学館に転入する。1907年(光緒33年)卒業した。
翰林院編修、法部参事を歴任して、法律編査館を主管した。翌年、京師審判庁庁長となり、後に京師高等検察長に昇進した。1910年(宣統2年)4月、アメリカへ国際会議出席等のため赴く。翌年春に帰国すると、国民共進会の組織を提唱した。
中華民国成立後の1912年民国元年)4月、北京政府の司法部次長に任命される。8月には、国民党の本部参議となった。翌年、二次革命(第二革命)で革命派が敗北すると、徐謙も下野して、弁護士を開業した。
袁世凱死後の1916年(民国5年)9月、段祺瑞内閣において、司法部次長に返り咲く。1919年(民国8年)、ヴェルサイユ会議に出席した。帰国後は下野し、天津で『益世報』の総編輯となる。
1920年(民国9年)11月、広州に向かって孫文(孫中山)の護法運動に参加し、軍政府司法部長に任命された。さらに広州政府大理院院長も兼任している。その後、一時的に北京に戻り、1922年(民国11年)9月、北京政府の王寵恵臨時内閣で署理司法総長に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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