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得宗(とくそう)は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系。徳崇、徳宗とも(読みは同じ)。幕府の初代執権の北条時政を初代に数え、2代義時からその嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9代を数える。「得宗」とは2代義時に関係する言葉で、研究者によって義時の別称、戒名、追号など意見が異なる。近年では「徳崇」の当て字・略字で、禅宗に帰依した5代時頼が、浄土宗系の宗派を信仰していた義時に贈った禅宗系の追号の可能性が指摘されている〔細川重男『 北条氏と鎌倉幕府』 90-95頁〕。義時流、得宗家という呼び方もある。史料においては北条氏嫡流の当主を「得宗」と指した例は少なく、行政用語であったとも考えられている。 == 歴史 == 鎌倉時代には、得宗家は専属の被官である御内人、家政機関(公文所)と所領を持ち、執権、諸国の守護職や、六波羅探題をはじめ幕府の要職の過半を占める北条一門の最上位に位置づけられた。ただ北条時頼以前は得宗と執権は同一者であるのが通例であった。 鎌倉時代後半になると、得宗家は北条一門を含む他の有力御家人を圧倒するようになった。時頼以後には執権職に就いた後にそれを一族の者に譲って出家し、実権を握り続けるケースが見られる。このような執権職と得宗の関係は、同時代の朝廷における天皇と治天の君との関係に類似しているとも指摘されている。 元寇以後には御内人が幕政に影響力を発揮し、得宗邸で行われる北条一門や御内人の私的会合である寄合が評定衆による幕府の公式の合議体(評定)に代わって実質上の幕政最高機関となり、得宗専制体制を築く。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「得宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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