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得宗専制(とくそうせんせい)は、鎌倉幕府において執権を務める平氏一門の北条氏の惣領である得宗に幕府権力が集中して専制政治が行われたこと、またその時期を指す。鎌倉幕府の歴史を3つに分けた場合、源氏将軍・執権政治に続く第3の時期にあたる。 == 概要 == 基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿(将軍)と個々の御家人の主従関係によって成り立っていた。北条氏も鎌倉殿の家来のひとつに過ぎず、数ある御家人の第一人者であっても主君ではなかったのである。源氏将軍が断絶し、摂関家や皇族から鎌倉殿を迎える事となり、鎌倉殿が名目上、形式上の存在になった時に、代わって幕府を主宰したのは有力御家人の合議機関である評定衆であり、北条氏から出た執権は、その評定衆の長であるに過ぎなかった。 しかしながら敵対する有力御家人を次々と滅ぼし、また評定衆も含め幕府の要職を独占するにつれ、北条一門の実質的権力が次第に増加していった。そしてその課程において、幕府の公的な地位である執権よりも、単なる北条一門の惣領であり私的な地位に過ぎない得宗に権力が移行していく事になる。こうして得宗専制が成立する。従って、得宗個人に権力が集中するというより、北条一門、特に得宗家に権力が集中したとみるべきであり、得宗家の執事に過ぎない内管領が実際の権力を掌握する時期もあり、これも含めて得宗専制と称する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「得宗専制」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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