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御嶽海 久司(みたけうみ ひさし、1992年12月25日 - )は、長野県木曽郡上松町出身で出羽海部屋所属の現役大相撲力士。本名は大道 久司(おおみち ひさし)。身長178cm、体重153kg、血液型はO型。得意技は突き・押し。自己最高位は西前頭10枚目(2016年1月場所)。 == 来歴 == 大道少年が相撲を始めるきっかけとなったのは、上松町立上松小学校1年の時に大桑村で開かれた相撲大会に出場した際に、初めて挑戦した相撲で自分より体の小さな相手に負けたことである。これをきっかけに負けず嫌いの魂に火がつき、地元の木曽少年相撲クラブに入り相撲一筋の人生が始まった〔長野県上松町出身・大道久司選手 産経新聞 2015年2月13日(2015年5月28日閲覧)〕。小学校では5年次に全日本小学生相撲優勝大会で2位となった〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 118頁〕。木曽町立福島中学校に進学すると3年で全国大会ベスト8となっている。木曽青峰高在学中に国体少年の部で3位となった〔第65回(平成22年)国民体育大会本大会入賞者 公益財団法人長野県体育協会〕後に東洋大学法学部企業法学科〔相撲部 大道久司選手が出羽海部屋入門を発表 東洋大学〕に進学した。 東洋大学時代は力強い突き押しを武器に、個人タイトル15冠。4年時の11月に学生横綱〔大道、中村破り学生横綱 全国学生相撲第1日 日本経済新聞 2014年11月8日(2015年5月28日閲覧)〕、12月にアマチュア横綱となり、現行基準では日大出身の元幕内・市原(清瀬海)、同じく日大出身の幕内・遠藤に続き3人目となる幕下10枚目格付出の資格を得た〔大道が学生横綱に続きアマ横綱で幕下10枚目資格 涙こらえきれず 産経新聞 2014年12月19日(2015年5月28日閲覧)〕。当初はプロ入りする意向はなく、アマチュア相撲の強豪・和歌山県庁への就職が内定していたが〔【新風力士】御嶽海 御嶽山噴火の地元を「勇気づけたい」 スポニチアネックス 2015年3月9日(2015年5月28日閲覧)〕、「部屋を再興したいので、力を貸して欲しい」と11代出羽海親方(元幕内・小城ノ花)の説得もあり〔学生横綱・アマ横綱の2冠を達成した大道久司選手が大相撲デビュー 東洋大学報WEB2014〕、2015年2月12日に出羽海部屋へ入門した〔アマ横綱大道がプロ初稽古 日刊スポーツ 2015年2月12日(2015年5月28日閲覧)〕。 2014年2月に出羽海部屋を継承したばかりの11代出羽海にとっては初の直弟子である。入門時に目標の力士として元大関武双山(現年寄:藤島)の名を挙げたが、2月28日の新弟子検査で身長を測定したのは奇しくもその元武双山の藤島審判副部長だった〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 20頁〕。 2015年3月場所で初土俵。角界には既に自身の本名と同じ「大道」(阿武松部屋)という力士がいたこともあり〔その阿武松部屋の大道からは「俺が名前を変えようか?」との申し出が御嶽海にあったという。“本名「大道」御嶽海寂しい 日刊スポーツ 2016年1月22日付紙面 4面参照” 〕、四股名には地元上松町から望める御嶽山に出羽海部屋の「海」をつけた「御嶽海」に決まった〔出羽海部屋 大道久司選手のしこ名が「御嶽海(みたけうみ)」に決定 東洋大学〕(ただし、「御嶽」の読みは、山は「おんたけ」と読むのに対し、四股名は「みたけ」と読む)。初土俵の場所は2番相撲(3日目)に大翔鵬からプロ初黒星を付けられたものの、これがかえって緊張をほぐす契機となり〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 19頁〕、最終的に6勝1敗の好成績となった。5月場所は東幕下3枚目の地位で6勝1敗の成績とし、場所後の番付編成会議にて、7月場所での新十両昇進が決定した〔相撲、新十両に御嶽海と高立 デイリースポーツonline] 2015年5月27日(2015年5月27日閲覧)〕。十両昇進まで所要2場所で昇進するのは11人目である〔御嶽海、最速所要2場所新十両!逸&遠藤らと並んだ スポーツ報知 2015年5月28日(2015年5月28日閲覧)〕。 長野県は元幕内の大鷲が1978年1月場所限りで引退して以来全都道府県で関取不在の期間(37年間)が最も長かったが〔御嶽海、十両昇進確実 県内出身関取、37年ぶり復活へ 信濃毎日新聞 2015年5月25日(2015年5月28日閲覧)〕、長野県出身力士として47年ぶりの新十両誕生で平成以降、関取を出していない都道府県は皆無となった〔長野から47年ぶり関取、御嶽海ら喜び語る 大相撲 朝日新聞 2015年5月27日(2015年5月28日閲覧)〕〔長野県から関取が誕生したことで、関取不在の期間が最も長い都道府県は1990年から関取不在の福井県になった。〕。 2015年7月場所において、11勝4敗の成績を収め、十両優勝を果たした。長野県出身力士の十両優勝は、1949年5月場所の大昇以来66年ぶりである。10日目の常幸龍から激しい張り手を受け口内から激しく流血し、翌日の取り組み後に左上唇を15針縫う怪我を負った。以降の取り組みでは本来の突き押しが出来ず、いつも以上に立ち合いの変化を多用した。〔御嶽海が相撲人生初の流血…常幸龍の張り手で唇負傷 2015年7月21日19時30分〕 2015年7月17日、写真家の篠山紀信が、松本市美術館にて展覧会の打ち合わせの際に優勝したら御嶽海の写真を撮ると約束していた。結果、十両優勝したため2015年9月9日に出羽海部屋にて撮影が行われ、開催中であった『篠山紀信展 写真力』の展示を変更し御嶽海のモノクロ写真が白鵬や朝青龍に並んで掲げられた。〔松本市美術館 篠山紀信展作品の一部が替わりました! 〕 2015年9月場所14日目は初めて幕内で相撲を取り勝利した。また、若手のために中入り後最初の取組に懸賞金を掛け続けていたもち吉により、初めて懸賞金を受け取った。この場所は西十両5枚目で12勝3敗という好成績だったことから、続く11月場所では新入幕となり、この場所は千秋楽に勝ち越した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御嶽海久司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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