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御幸道路(みゆきどうろ)は、三重県伊勢市を通り、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)を結ぶ道路。国道23号および三重県道12号伊勢南勢線、三重県道37号鳥羽松阪線の各一部であり、1910年(明治43年)に開通した〔。天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用される〔伊勢文化舎(2008):108ページ〕。別名は、御幸通り・お成り街道〔伊勢市 編(1968):509ページ〕(御成街道〔宮本 編(2013):252ページ〕)。 全長はおよそ5.5km、徒歩1時間半程度である〔学研パブリッシング(2013):40ページ〕。沿道には、御木本幸吉による寄付で整備された街路樹〔伊勢市 編(2012):第4巻551ページ〕や、篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいる〔。また、沿道には史跡が点在する〔三重県観光連盟"御幸道路沿線の史跡を訪ねる その1 - ふるさと三重、再発見の旅 "<ウェブ魚拓 >(2013年5月13日閲覧。)〕〔人文社観光と旅編集部 編(1974):52ページ〕。外宮前から伊勢商工会議所前までは官庁街〔"深夜の騒音、苦情が殺到 県道舗装工事が中断 伊勢市"朝日新聞1999年7月10日付朝刊、三重版27ページ〕、外宮と内宮の中間に位置する倉田山付近は文教地区となっている〔。 == 路線概要 == 1900年代(明治時代後期)まで、伊勢神宮の2つの正宮である外宮と内宮を結ぶ道路は限定され、急な坂道を伴う幅の狭い道(伊勢街道(伊勢参宮街道))しかなかった〔。そこで三重県庁は既存道路改修か新道の建設を検討し、国家の補助を得られる新道の建設を決め、実際に開通したのが御幸道路である〔伊勢市 編(2012):第4巻549 - 551ページ〕。総工費は当時の金額で375,000円余り、総延長48町(約5.2km)余りであった〔。開通後、御幸道路は路線バスが運行されるようになり〔、外宮と内宮を結ぶ伊勢のメインストリートとなった〔伊勢高等学校50周年記念事業実行委員会(2006):222ページ〕。『伊勢市都市計画マスタープラン』では「内環状軸」(市街地の交通の効率化を図る環状道路)・「外宮・内宮連絡軸」(外宮と内宮を結ぶ都市軸)として伊勢市街における幹線道路として位置付けられ〔伊勢市"伊勢市都市マスタープラン全体構想 第4章将来都市構造 2 軸の形成 "(2013年9月7日閲覧。)〕、『伊勢市景観計画』では「景観重要道路」に指定されている〔伊勢市(2013):60ページ〕。 建設時点で「相当ノ道幅及ヒ路面」とすることが決められ、外宮前から錦水橋(きんすいばし)までの区間と猿田彦神社前から宇治橋までの区間に設置された歩道はレンガ敷きとし、路面電車の神都線が通る区間の車道は石畳舗装が施された〔伊勢市 編(2012):第4巻550 - 551ページ〕。道路幅員は8間(約14.5m)とし、両側に幅1間(約1.8m)ずつ歩道を整備した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御幸道路」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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