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御所山古墳(ごしょやまこふん)は、福岡県京都郡苅田町大字与原にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。 豊前地方(福岡県東部・大分県北部地域)では石塚山古墳(苅田町富久町)と並び最大級の規模の古墳で、5世紀後半(古墳時代中期後半)の築造と推定される。 == 概要 == 福岡県東部、周防灘を望む低丘陵上に築かれた大型前方後円墳である。2007年度(平成19年度)から2015年度(平成27年度)にかけて発掘調査が実施されている〔"苅田・御所山古墳 墳丘全長は120メートル" (読売新聞、2014年12月6日記事)。〕。 墳形は前方後円形で、前方部を北方に向ける。墳丘長は119メートルを測るが、これは石塚山古墳(苅田町富久町、推定墳丘長約130メートル)と並び豊前地方では最大級の規模になる。墳丘は3段築成。くびれ部の両側には造出が設けられている。また墳丘表面では埴輪・葺石が検出されているほか、墳丘周囲には幅約5メートルの周濠が巡らされている。この周濠は現在も水をたたえ、周濠および周堤を含めた全長は140メートルにもなる。主体部の埋葬施設は大型で古式の横穴式石室で、複数人が埋葬された。石室からは、銅鏡(四禽四乳鏡)のほか、東アジアでの交流を物語る馬具などの副葬品が検出されている。 この御所山古墳は、石室・出土品等から5世紀後半(古墳時代中期後半)の築造と推定される。苅田町域では、大型古墳として前述の石塚山古墳の築造も見られており、一帯に有力豪族が成長した様子が指摘される〔。 古墳域は1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御所山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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