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御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)10月27日 - 1971年6月6日)は、日本のイギリス文学者。 == 生涯 == 御木本幸吉の長男として三重県に生まれる。第一高等学校卒、東京帝国大学英文科から京都帝国大学経済学部を卒業〔『文藝年鑑1940』〕。ジョン・ラスキンに関心を抱き、河上肇を師とした。 1920年、渡英し、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学に学ぶ〔御木本 隆三とは コトバンク。2015年12月25日閲覧。〕。家業を継がず1931年にラスキン協会を設立、ラスキン協会雑誌を刊行し、1934年には東京銀座にラスキン文庫を開設、「ラスキンホール」「ラスキンテーハウス」を経営していたが赤字となり、1939年春、東京区裁で強制和議認可の決定を受け、以来、父の幸吉に借金を返済させ続ける〔「朝日新聞」1952年3月25日夕刊。〕。 戦後、1949年には東京麻布の自宅にラスキン文庫を復活させるが、1950年春から再び浪費を繰り返し、860万円以上を借金して費消〔。このため、1952年、甥の武藤武治から浪費者として準禁治産宣告の申し立てを東京家庭裁判所に起こされ、準禁治産者となった〔。当時の隆三は「私の方が悪いんだというより他はない。浪費といっても外人の接待などに使ったのでやむを得ないと思う。将来三浦半島あたりで小さな真珠の工場を造り、ラスキンの研究を続けたいというのが夢のような現在の理想だ。刺激をして親父と争いたくない」と語っていた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御木本隆三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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