|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 復古 : [ふっこ] 1. (n,vs) revival 2. restoration ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神道 : [しんとう] 【名詞】 1. Shinto
復古神道(ふっこしんとう)は、江戸時代、国学者たちによって提唱された神道〔『古神道は甦る』 102-104頁。〕。「古神道」、「古道」、「皇学」、「本教」等ともいう。 ==概要== 復古神道の教義は多種多様だが、概ね共通しているのは、儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想である。神々〔天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神を根源神として、根源神の分霊が各人の中に宿っているとする流派もあった。〕の意志をそのまま体現する「惟神(かんながら)の道」が重視された。 復古神道は、江戸時代初期に生まれた垂加神道と同じく、時代を大きく動かしていったが、国学者たちによって、より学問的な立場でつきつめられていった神道といえる。賀茂真淵や本居宣長らの国学者がまず古道説を唱えて体系づけ、平田篤胤や本田親徳らが、儒教や仏教を強く排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ「復古神道」を大成し、発展させていった。復古神道は、都市部の町人のみならず全国の農村の庄屋・地主層を通じて農民にも支持され、幕末の志士たちにも大きな影響を与え、明治維新の尊王攘夷運動のイデオロギーに取り入れられることとなった〔。 なお、維新政府の政治理念の中心になった復古神道について、「角川日本史辞典」には「江戸後期の国学系統の神道。古代の純粋な民族信仰の復古を唱えた神道。独善的排他的な一面をもつが、明治維新の思想的側面を形成し、神仏分離、廃仏毀釈の運動となり、神道国教化を推進した」とある。 復古神道では、多くの流派で、「言霊」、「数霊」を使って古事記や日本書紀を読み解くことも行われた。十言の神咒〔「アマテラスオホミカミ」と唱えるもので元は修験道に由来する。仏教の題目とは異なる。〕(とごとのかじり)、三種の祓い〔「トホカミエミタメ」という祝詞を唱えるもので吉田神道を経由して伝わったもの。仏教の題目とは異なる。〕(みくさのはらい)など多くの行法が取り入れられたり復興されたりした。禊行も重要視される。また傍流としてではあるが折符も発達した。現在、神社などで使われている行法も、実はこの復古神道の流れから発達したものが意外に多い。 現時点で宗教団体として活動している流派の中には「我々は復古神道の流派ではあるが平田派国学と何のかかわり合いもない」という主張をしている場合があるが、教義上そういう建前になっているにすぎず、歴史的には、平田派国学の影響をまぬがれない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「復古神道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|