|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年11月7日 - 1996年2月2日)は、昭和天皇の側近、侍従長。尾張(名古屋)藩主徳川慶勝の孫で、実弟津軽義孝は常陸宮正仁親王妃華子の父であり、妹祥子は北白川宮永久王の妃。 == 来歴 == 1906年、尾張徳川家分家、徳川義恕の長男として東京府に生まれる。1927年、学習院高等科を卒業し、1930年、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。ベルリン大学留学後、帝室博物館(現東京国立博物館)研究員。1936年、侍従となり、1985-1988年は入江相政のあとをうけて侍従長を務めた。 * 1936年(昭和11年)11月20日 - 侍従 * 1969年(昭和44年) - 侍従次長 * 1985年(昭和60年)10月-1988年(昭和63年)4月 - 侍従長。 太平洋戦争末期、天皇の玉音放送をめぐって起きた未遂クーデター、宮城事件を描いた書著および映画『日本のいちばん長い日』に侍従として登場する。 侍従長退任後は、公益法人日本博物館協会会長を務めた。没後の1999年に、終戦時の詳細な日記『徳川義寛終戦日記』が刊行され、話題となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川義寛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|