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徳武定祐 : ウィキペディア日本語版
徳武定祐[とくたけ さだゆき]

徳武 定祐(とくたけ さだゆき、1938年6月9日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手。右投げ右打ち。旧名は定之
== 来歴・人物 ==

=== プロ入りまで ===
青森県三戸郡五戸町生まれ。早稲田実業高校では、2年生の時に夏の甲子園都予選準決勝に進出するが、並木輝男投手を擁する日大三高に9回サヨナラ逆転負け。翌夏は1年生エース王貞治の好投もあって勝ち進む。都予選準決勝では、後に国鉄の同僚となる村田元一投手のいた明治高に2-1で辛勝。決勝は成蹊高に13-1で大勝し、三塁手、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦で新宮高を破り2回戦に進出するが、県岐阜商に敗退した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。高校同期に醍醐猛夫がいた。
卒業後は早稲田大学商学部に入学。東京六大学リーグでは在学中2回優勝。の全日本大学野球選手権大会では決勝で関西学院大学を下して優勝。早大では主に三塁を守り、4年時には主将を務め、秋季リーグの早慶六連戦でも活躍。1学年下の安藤元博とともに優勝の原動力となる。本塁への激しい突入プレーで「リンゴ事件の再来か」と言われるなど紛糾の主役となった。リーグ通算88試合出場、313打数92安打、打率.294、3本塁打、46打点。秋季リーグからベストナインに5季連続選出(外野手1回、三塁手4回)された。大学同期に金沢宏(大昭和製紙)、野村徹がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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