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徳永悠平[とくなが ゆうへい]
徳永 悠平(とくなが ゆうへい、1983年9月25日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)またはディフェンダー(DF)(本職は右サイドバック(SB)〔ロンドン五輪 選手名鑑 徳永悠平 スポーツニッポン〕〔〔)。家族は妻と4子。 == 来歴 ==
=== 高校・大学時代 === 国見高校でDF(リベロ)にコンバートされ、攻守に活躍〔長崎発 アテネへ 五輪へ挑む県勢 長崎新聞 (2004年7月23日)〕。2年時にインターハイ・国体・全国高校サッカー選手権の三冠達成に貢献し〔、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成〔。当時はチーム事情により、FWをこなしたこともあり得点も挙げている。 2002年に早稲田大学に進学し、同大学の蹴球部に所属。当時の早稲田は成績低迷の最中にあり、徳永にとっては物足りない環境だったが〔 早稲田スポーツ (2006年3月15日)〕〔 4年時には大榎克己監督の元、主将として同部を牽引〔ア式蹴球部 大榎監督インタビュー wasedawillwin (2007年10月4日)〕〔。関東大学リーグ2部での優勝を果たし〔 9年ぶりに1部に復帰させた。また、大学選抜として2005年のユニバーシアードに参戦し優勝〔。 2004年にはアテネオリンピックに臨むU-23日本代表に選出。しかしイタリア戦でデ・ロッシとの接触によって負傷退場し〔 不完全燃焼に終わった〔OA登録のF東京・徳永「あえて難しいところに挑みたかった」 ゲキサカ (2012年6月14日)〕。高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出されており、U-22・U-23日本代表監督の山本昌邦からも絶大な信頼を寄せられ、トップクラスの出場時間を得ていた。在学中からA代表入りも期待されるほど大学サッカー界では突出した存在だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳永悠平」の詳細全文を読む
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