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徳永 昌重(とくなが まさしげ)は、江戸時代前期の大名。美濃高須藩第2代藩主。 徳永寿昌の長男。父と共に豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父と共に東軍に与して高木盛兼の高須城を攻め取り、居城とした。慶長16年(1611年)には禁裏の普請助役を務めている。翌年7月10日に父寿昌が64歳で死去したため、その後を継いで藩主となる。大坂の陣などでも武功を挙げて最終的には5万700石まで加増を受けた。 しかし寛永5年(1628年)2月28日、大坂城石垣普請助役工事の遅延を理由に除封され、庄内藩酒井家(後に新庄藩戸沢家)にお預けとなった。寛永19年(1642年)6月19日、配所にて死去した。享年42。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳永昌重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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