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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 英明 : [えいめい, ひであき] 1. (adj-na,n) intelligent 2. wise 3. bright 4. brilliant 5. clear-sighted
徳永 英明(とくなが ひであき、1961年2月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、俳優。本名、德永 英明(読み同じ、正確には「英」の字の草冠は四画〔名前の「英」の字の草冠:正確には「十」の字を横に二つ間隔を開けて並べたようなもの。〕のもの)。 福岡県柳川市生まれ、兵庫県伊丹市育ち。身長175cm。所属レコード会社はユニバーサルミュージック。公式ファンクラブは「TONY'S CLUB」である。名前に使われている徳の字および英の字は正しくは、戸籍と同じ旧字体である。2002年11月14日の復帰会見以降、本名の旧字体表記で活動を始めたため、近年では各種メディアで旧字体表記が増えているが、文字化け等のリスク回避のため本項目では新字体を使用する。 == 略歴 == * 福岡市立別府小学校、伊丹市立南中学校、伊丹市立伊丹高等学校を卒業後、大阪の観光専門学校(のちに中退)へ。 * 中学2年の時にラジオから流れてくる音楽に励まされたり勇気をもらっていた。中学3年生の時に、井上陽水の氷の世界を聞いて衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになる。 * 19歳の時に上京、アルバイトをしながらミュージシャンを目指す。レコード会社近くの飲食店などで働き、顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。またこの頃から新宿ルイードで定期的にライブを行う。父親から「25歳までにデビューできなかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告されていた。 * オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に出場。山下達郎の「RIDE ON TIME」を熱唱するが、惜しくもスカウトされず。同じ日に松本明子(渡辺プロダクションからスカウト)、本田美奈子も出場していた。 * デビューのきっかけを求めて22歳で俳優養成学校TBS緑山塾に入る。 * 1985年8月、第2回マリンブルー音楽祭においてグランプリを受賞。 * 1985年、上記マリンブルー音楽祭を主催する上野義美が1982年に立ち上げたミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称:KIDS)〔KIDSには無名時代のC-C-B(当時はCoConutBoys名義)やパイナップルボーイズらなどが所属していた。〕制作・総指揮をとるロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」の概要を発表〔同ミュージカル制作は注目され、多くの媒体に告知・宣伝された。テーマ曲を制作した伊藤銀次らも参加したオリジナルサウンドトラックがキングレコードから発売。少女漫画化もされた。〕。徳永もオーディションに参加することになった。オーディション参加者にはミュージカルスターやダンサーを目指す者も多く激戦であった。最終オーディションではSAM(のちにTRFに所属)と徳永が競い、役柄のイメージとルックス、歌唱力が抜きん出ていた〔歌唱審査で徳永は山下達郎の「RIDE ON TIME」を歌いあげた。〕徳永が主演・トニー役を射止める。のちに設立されるファンクラブ名「TONY'S CLUB」は、この公演の役名から拝借したもの。同年10月、東郷神社特設ステージにて10日間の公演が行われた。共演は七瀬なつみ(本名・滝沢美千代名義)らなど。 * 1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりデビュー。先述の父親との「25歳まで」との約束ギリギリの24歳10カ月でのデビューとなった〔。24日には新宿ルイードでメジャーデビューライブを行う。 * 同年2月8日、朝日放送(ABC)『ヤングプラザ』に出演し、「Rainy Blue」を歌う。メジャーデビュー後、初のテレビ出演。 * 同年4月15日、オフィシャルファンクラブ「TONY'S CLUB」設立。 * 1987年、Radio Cityレコードを同じ文化放送と渡辺プロダクションの合弁会社であったアポロン(後のバンダイ・ミュージックエンタテインメント)に統合、業務移管。 * 同年8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」がヒット曲となる。 * 1988年12月14日、12月15日、初の日本武道館コンサート。TBS緑山塾時代に宣言した、5年後に武道館でライブをやりたいという目標を実現させた。 * 1989年12月28日、フジテレビ系ドラマ『悲しいほど好き! 〜Mr.ダンディお嬢様に恋をする〜』の神崎邦彦役でテレビドラマ初出演&初主演。 * 1990年、事務所を独立。プライベートオフィス「マゼラン」設立。 * 同年1月16日、シングル「夢を信じて」をリリース。テレビアニメ『ドラゴンクエスト』主題歌。 * 同年7月7日、シングル「壊れかけのRadio」をリリース。本人も友情出演のTBS系金曜ドラマ『都会の森』主題歌。当時、ヒット曲を生み出す重圧に悩んでいたが、中学生の頃に純粋に音楽と向き合っていた頃の自分を思い出し、同曲を書き上げた〔。 * 同年10月9日(トクの日)、アルバム『JUSTICE』をリリース。 * 1991年3月、初のCM出演。カネボウ「ZENITH」(男性化粧品)。CMソングとして「Wednesday Moon」。 * 1993年1月、声帯ポリープ手術のため、ツアーを延期。 * 同年2月、児童環境づくりのための期間限定ユニット「USED TO BE A CHILD」に参加。『僕らが生まれたあの日のように』をリリース。 * 1994年9月、元モデルの女性との結婚を発表。 * 1995年、第一子誕生。 * 1996年、レコード会社「株式会社アポロン」が、「バンダイ」に吸収され、「(株)バンダイ・ミュージックエンタテインメント」となる。 * 1997年11月、進むべき道を見失い、原点に戻る意味でシングル「Rainy Blue 〜1997 Track〜」をリリース。ベストアルバム『Ballade Of Ballade』もリリース。初のバラードコンサートを行う。 * 1998年、第二子誕生。スペインに単身で渡り、充電期間を過ごす。レコード会社をキングレコードへ移籍。 * 2000年、バンダイミュージックの解散により、バンダイミュージックから販売されていたCD、ビデオなどが回収される。 * 2001年1月6日より、TBS『スーパーサッカー』メインパーソナリティーを務める。 * 2001年5月、もやもや病(脳血管障害の一種)のため、コンサートツアーを中止。『スーパーサッカー』降板。 * 2002年11月、もやもや病を克服。レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍し、活動を再開。 * 2003年5月、よみうりランドにて野外ライブ「赤い太陽の日」を開催。以後、夏恒例のイベントとなり、2009年まで7回連続で開催された。 * 2005年、女性ヴォーカルの曲をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』をリリース。 * 2006年、デビュー20周年を記念して、ベストアルバム『Beautiful Ballade』をリリースし、コンサートツアー「Beautiful Ballade」、「Beautiful symphony」を行う。また、2作目のカヴァーアルバム『VOCALIST 2』をリリース。年末には第57回NHK紅白歌合戦に初出場し、『壊れかけのRadio』を披露した。 * 2007年5月、奈良の薬師寺で行われた、「“Present Tree Live〜音楽の力で森をつくろう〜”薬師寺本尊開眼1310年記念奉納コンサート」に出演。3作目のカヴァーアルバム『VOCALIST 3』をリリースした。 * 2008年、ベストアルバム『SINGLES BEST』とカップリング曲を集めたベストアルバム『SINGLES B-SIDE BEST』を同時リリース。 * 2010年、4作目のカヴァーアルバム『VOCALIST 4』をリリースした。 * 徳永は1980年代から2010年代までの4つの西暦10年代連続でアルバム首位を獲得した(1980年代:『BIRDS』、1990年代:『JUSTICE』、『Revolution』、2000年代:『VOCALIST 3』、『WE ALL』、2010年代:『VOCALIST 4』)。男性アーティストによる4年代連続のアルバム首位獲得は、徳永が初である(女性アーティストを含めると、1970年代から2000年代までの4年代連続でアルバム首位を獲得した松任谷由実以来、2組目となる)。 * 2016年2月22日、もやもや病による脳梗塞発症予防のために左複合バイパス手術を行う〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳永英明」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hideaki Tokunaga 」があります。 スポンサード リンク
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