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忍海漢人(おしみのあやひと)とは大和時代に朝鮮半島から渡ってきた渡来人集団漢人(あやひと)の一つであり、鍛冶技術に秀でていた。 忍海郡に集落を形成していた事を名の由来とする。 彼らの集落の跡は、現代では脇田遺跡を中心とした忍海群というグループに位置づけられている。 ==起源== 日本書紀によると、葛城襲津彦は、新羅の草羅城(さわらのさし)を攻略した際に捕虜を連れ帰った。この捕虜が、桑原・佐糜・高宮・忍海の四箇所に住んだ漢人の祖とされる〔日本書紀「次于蹈鞴津、拔草羅城還之。是時俘人等、今桑原・佐糜・高宮・忍海、凡四邑漢人等之始祖也。」〕。 忍海とは現在の奈良県葛城市であり、この地は葛城襲津彦を始祖とする葛城氏の勢力圏であった。又、忍海漢人の氏寺とされる地光寺の寺院跡からは新羅系の鬼瓦が発掘されているため、彼らの出自は新羅であると考えられる。これらを合わせて考えると、日本書紀の記述は、細部はともかく大筋では歴史的事実を反映したものであろう。即ち、葛城襲津彦という人物が主導したものであるか、元来草羅城の付近に暮らしていたのか、これらは依然として不明であるが、新羅系の渡来人である忍海漢人らが、大和朝廷ではなく葛城氏に私的に職務奉仕していた事は確かである。 一方、坂上系図から引用されている新撰姓氏録の逸文においては、日本書紀の記述とは矛盾する伝承が記されている。これについては後述する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「忍海漢人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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