翻訳と辞書
Words near each other
・ 志太勤
・ 志太平野
・ 志太広域事務組合
・ 志太榛南バイパス
・ 志太消防本部
・ 志太系ラーメン
・ 志太義広
・ 志太郡
・ 志太郡衙
・ 志太郡衙跡
志太野坡
・ 志学
・ 志学会高等学校
・ 志学館中学校・高等学校
・ 志学館中等部
・ 志学館中等部 (千葉県)
・ 志学館中等部・高等部
・ 志学館中等部・高等部 (千葉県)
・ 志学館大学
・ 志学館高等学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

志太野坡 : ミニ英和和英辞書
志太野坡[しだ やば]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [の]
 【名詞】 1. field 

志太野坡 : ウィキペディア日本語版
志太野坡[しだ やば]
志太 野坡(しだ やば、寛文2年1月3日1662年2月21日) - 元文5年1月3日(1740年1月31日))は、江戸時代前期の俳諧師。前号:野馬・別号:樗木社・樗子・紗方・紗帽・浅生・無名庵高津野々翁・照笛居士
蕉門十哲の一人とされ、「軽み」の俳風では随一ともいわれた。
元々は両替商の三井越後屋に奉公し、番頭にまで登りつめた。
宝井其角に俳諧を学んだがのちに松尾芭蕉に入門し直接指導を受ける。『続虚栗』で初入集。
孤屋・利牛らと共に『炭俵』を編集した。
元禄11年から14年まで商用で長崎に滞在する。一時江戸に帰るが、翌15年から翌年にかけて本格的な筑紫行脚を開始。
長崎・田代・久留米・日田・博多などに旅寝を重ね多くの弟子を獲得した。
人柄は温厚で社交的、蕉風を上方や九州に普及させた業績は大きい。
代表的な門人に後継者でもあり保護者でもあった湖白亭浮雲、広島地方で活動した多賀庵風律がいる。湖白亭浮雲の妻は諸九尼といい、おくのほそみちを追体験した「秋かぜの記」を著した。

==関連項目==

*蕉門十哲
*俳人の一覧



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「志太野坡」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.