|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 志 : [こころざし] 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive ・ 怪 : [かい] 【名詞】 1. mystery 2. wonder
志怪小説(しかいしょうせつ)は、主に六朝時代の中国で書かれた奇怪な話のことで、同時期の志人小説(しじんしょうせつ)とともに後の小説の原型となり、作風は唐代の伝奇小説に引き継がれた。 ==発生と伝承== 中国において古代から歴史書の編纂は重要な仕事とされて盛んに行われたが、市井の噂話や無名人の出来事、不思議な話などはそこには記載されることは稀で、それらは口伝えに伝えられるものとなっていた。秦・漢などの宮廷では、優倡、俳優といった娯楽のための職業人がおり、芸能とともに民間の話題をすることもあった。後漢末になると、曹丕が奇怪な話を集めた『列異伝』を編したと伝えられ、六朝の東晋では干宝『捜神記』を著した。これらは志怪小説と呼ばれ、民間説話が数多く含まれている。 一方で、劉宋の劉義慶は古今の人物の逸話を集めた『世説』を著し、20世紀になってこのような作品を志人小説と呼ぶようになった。これらのあと、六朝時代には多数の志怪小説、志人小説が書かれた。 この発生の背景には、魏・晋以後に「竹林の七賢」に象徴される知識階級の人々が集まって談論する清談の風潮があり、その哲学的議論の中での、宇宙の神秘や人間存在の根源といった話題に、奇怪な出来事は例証として提供された。またこの時代当時の政治的動乱を、流行していた五行説に基づいて解釈したり、仏教や道教の思想の浸透に伴って、輪廻転生の物語や、仙人や道士の術の話題が広められており、仏教、道教の信者は志怪小説の形式で書物を作り出した。六朝末期には、仏教を媒介として伝わったインド説話を元にしたと思われる作品もある。 これらの志怪小説、志人小説は、見聞きした話をそのまま書きとめたもので、素朴な文体で、長さも短かったが、唐代の伝奇小説では著者の創作や情景描写が大きな位置を占めるようになった。 宋代にも伝奇小説が書き継がれたが、過去の史料の収集という観点で志怪的な書物も生まれ、洪邁『夷堅志』などがある。 六朝時代の原本は現代にはまったく残っていない。これらは宋代に太宋が命じて編纂した『太平広記』で収集されて残った。また唐代にかけて作られた類書である『芸文類聚』『北堂書鈔』『初学記』などに、志怪小説、志人小説からの採録がある。『太平広記』と同時期の類書『太平御覧』にも志怪・志人小説からの部分転載が多い。南宋の曽慥『類説』や、明の陶宗儀『説郛』でも収集され、明・清には志怪や伝奇が叢書の形で『五朝小説』『唐人説薈』『竜威秘書』『秘書二十一種』などが印刷出版され、日本でも江戸時代以降に広く読まれた。中でも明の顧元慶『顧氏分房小説』、毛晋『津逮秘書』(清代に『学津討原』に改訂)が後年にも刊行されている。ただしこれらのテキストは、原本のままでなく後人の手が加えられている可能性が高い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志怪小説」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|