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志摩市民病院 : ミニ英和和英辞書
志摩市民病院[しまし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [し]
  1. (n-suf) city 
市民 : [しみん]
 【名詞】 1. citizen 2. townspeople 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [やまい]
 【名詞】 1. illness 2. disease 
病院 : [びょういん]
 【名詞】 1. hospital 

志摩市民病院 ( リダイレクト:国民健康保険志摩市民病院 ) : ウィキペディア日本語版
国民健康保険志摩市民病院[こくみんけんこうほけんしましみんびょういん]

国民健康保険志摩市民病院(こくみんけんこうほけんしましみんびょういん)は三重県志摩市にある病院2007年(平成19年)度の入院患者数はのべ12,835人で1992年(平成4年)度とほぼ同じ水準であるが、外来患者数はのべ26,285人で1992年度の6割程度に落ち込んでいる〔2007年度の統計は公式サイトの『病院の概況 』(2010年4月8日閲覧)より、1994年度の統計は大王町史編さん委員会『大王町史』612ページより引用。『大王町史』同ページによると、1994年度の入院患者数はのべ12,540人、外来患者数は42,237人である〕。

== 沿革 ==
1940年(昭和15年)、波切町(現在の志摩市大王町波切)で突如入院患者が急増し、町民の間で町立病院の設立運動が起きた〔大王町史編さん委員会、1994、610ページ〕。これを受けて波切町議会は急遽病院設置予算を可決したが、太平洋戦争の影響で実際に建設されることはなかった〔大王町史編さん委員会、1994、611ページ〕。
終戦後の混乱が収束してきた1951年(昭和26年)、波切町議会は再び予算案を可決、旧墓地跡への設立を決定する〔。翌年完成した「波切町国民健康保険直営診療所」は16室24床、木造スレート瓦葺平屋建て2棟の診療所として開設された〔。1955年(昭和30年)には医師3名、レントゲン技師1名を迎え、病院への昇格を果たすが経営は順調とはいかず、医師不足に直面することとなる〔。1967年(昭和42年)、大王町議会は「新しい医師を招くには、まず施設整備が必要」と判断、合計約5000万円をかけた2か年事業で病院の新築移転を行う〔大王町史編さん委員会、1994、612ページ〕。
偶然にも移転先はまた墓地跡であった〔。
その後行財政改革に伴う合理化により、前島病院との機能統合が行われ、国民健康保険志摩市民病院に改称、現在に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国民健康保険志摩市民病院」の詳細全文を読む




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