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志摩清直 : ミニ英和和英辞書
志摩清直[しま きよなお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

志摩清直 : ウィキペディア日本語版
志摩清直[しま きよなお]
志摩 清直(しま きよなお、1858年7月7日(安政5年5月27日) - 1894年(明治27年)9月17日)は、日本海軍軍人日清戦争における黄海海戦で戦死した海軍大尉である。
== 生涯 ==
日向国都城(現在の宮崎県都城市)に生まれた。父・清雄は宮崎県士族。弟の山地通信は陸軍将校、志摩猛戦艦霧島」艦長等を務めた海軍少将である。志摩は9歳のときに小姓として出仕した経験がある。
海兵士官学校予科生徒在学中に同校は廃校となり〔『海軍七十年史談』pp.250-251〕、1877年(明治10年)9月、海軍兵学校へ転入。1880年(明治13年)9月「龍驤」乗組みとして実地訓練を受け、豪州へ回航。翌年9月少尉補となる。兵学校8期生であり、同期に八代六郎がいる。
1885年(明治18年)6月海軍少尉任官。「摂津艦」分隊士を務め、次いで兵学校教官となり砲術を担当した。大尉に進み、「武蔵」・「高千穂」の分隊長を歴任し、英国で建造された「千代田」回航員(分隊長)を務めている。
帰国後、兵学校監事を経て海軍大学校甲号学生(5期・砲術)となった。黒井悌次郎江頭安太郎は海大の同期生である。卒業後、砲術練習所学生として訓練を受けている最中の1894年(明治27年)6月、運送船「近江丸」の監督官を命ぜられ、次いで「松島」分隊長に補せられた。「松島」は清国北洋艦隊の「定遠」・「鎮遠」の巨砲に対抗する艦として日本の期待を集めており、日清戦争における連合艦隊旗艦である。砲術専攻士官として経歴を重ね、海軍大射的会で一等となるなどの実績があった志摩は、第1分隊長としてその主砲を預かる〔『帝国軍人名誉列伝』「海軍大尉志摩清直君」〕(砲術長は井上保大尉〔『黄海海戦ニ於ケル松島艦内ノ状況』〕)。
日清戦争において威衛海攻撃などに参加。黄海海戦に際し、「松島」下甲板で前部両舷砲塔の指揮にあたっていた志摩は、敵弾の命中により戦死した〔経歴はアジア歴史資料センターの史料に基づく。〕。志摩は海中に投げ出され、帽子を振りながら万歳を絶叫しつつ海没したという〔『回想の日本海軍』「正戸為太郎翁が語る日清戦争実戦談」〕。なお勇敢なる水兵三浦虎次郎が戦死したのも同日の同じく「松島」下甲板である。
志摩には当時5歳になる長男があった。志摩が出征に際し妻に残した書には「武運拙く万一の場合は清英に父の志を継ぎ海軍に従事させよ」とあった〔『日清戦争軍人名誉忠死列伝』「志摩清直君」〕。この長男は海軍兵学校(39期)に進み、海軍中将としてレイテ沖海戦に参加した志摩清英である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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