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志自岐(しじき)は、日本海軍の運送船〔(給油船〔)、沈没後に運送艦〔(給油艦)に類別。艦名は長崎県平戸島の志々岐埼による〔#日本海軍艦船名考p.204〕〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)p.585〕。「志自岐」は1915年(大正4年)以前の水路図誌での表記〔。 日本海軍が初めて建造した給油船(現在のタンカーに相当)で、1919年にタラカンからの重油輸送中に遭難、沈没し多くの殉職者を出した。 == 艦歴 == === 計画 === 明治末から日本海軍の重油輸送は民間のタンカーが担っていたが、第1次世界大戦開戦後はタンカーの不足が目立った〔#日本補助艦艇物語p.220〕。また八八艦隊計画で大量の重油輸送が必要となると予想された〔。日本海軍では1914年(大正3年)2月に三千噸積重油船を至急建造する必要がある、という建議が艦政本部二部から出された〔#T3公文備考15/製造(3)画像42-56、『艦本二機密第一二号 大正三年二月 海軍艦政本部第二部長 鈴木富三○ 海軍艦政本部長 伊地知季珍殿 三千噸積重油船壱艘建造ノ建議(以下略)』〕。 それによると、この頃の国内産の重油は主に鉄道を利用し横須賀へ輸送しているだけだったが〔#T3公文備考15/製造(3)画像42〕、国内産で35,000トン(トンは英トンを指す、以降すべて同じ)の供給も困難ではないと予想された〔#T3公文備考15/製造(3)画像46〕。重油を鉄道輸送した場合は年間10,000トン〔から15,000トンが限度であり〔#T3公文備考15/製造(3)画像49-50〕、また引き込み線を敷き、ポンプなどを全て新設する必要もあった〔。一方海上輸送の場合は現在の受け入れ設備を拡充し〔#T3公文備考15/製造(3)画像50,52-53『(一)各軍港ニハ左ノ如ク受入装置アリ(以下略)』〕、この1隻で年間10航海、約30,000トンが輸送できる計画だった〔#T3公文備考15/製造(3)画像55〕。金剛型が完成した場合の平時重油使用量は約25,000トンが見込まれていたので、国内産重油のみで全てを賄うことも可能という意見だった〔。また平時、戦時に関わらず海外からの重油輸入、戦時の進出根拠地への輸送にも活用できるとされた〔#T3公文備考15/製造(3)画像56〕。 軍令部からは戦時の使用を考え6,000噸積に、艦政本部三部からは1,500噸積の提案もあったが、6,000噸積は平時の使用では大きく、1,500噸積では平時でも小さすぎるとされ、当初の計画通りの3,000噸積が適当とされた〔#T3公文備考15/製造(3)画像40-41、意見〕。またこの年に第1次世界大戦が起こり、戦時での民間船の徴用の困難さや、その改造に時間の掛かることが痛感され、海軍所有船の至急建造に動いた〔#T3公文備考15/製造(3)画像38-39、『官房機密第一五二三號 大正三年十一月起案 十二月十八日附決裁済 三千噸積重油船一隻製造ノ件』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志自岐 (給油艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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