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志賀親度 : ミニ英和和英辞書
志賀親度[しが ちかのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [ど]
  1. (n,n-suf) (1) degree (angle, temperature, scale,  2. (2) counter for occurrences 3. times 4. (3) strength (of alcohol) 5. (4) (uk) (pref) very 6. totally 

志賀親度 : ウィキペディア日本語版
志賀親度[しが ちかのり]

志賀 親度(しが ちかのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大友氏の家臣。北志賀家・志賀親守の子。
志賀氏は、田原氏詫摩氏と並ぶ大友三家の一角である。のちに北志賀家と南志賀家に分かれ、それぞれ隆盛した。
天文19年(1550年)、二階崩れの変後、父と共に大友義鎮(宗麟)の家督相続に尽力した。その後、父から若くして家督を譲られ、永禄年間から元亀年間において加判衆を務めた。しかし天正6年(1577年)、宗麟の後を継いだ義統と不仲になって対立し、父と共に殺されそうになったが、宗麟の仲介で免れた。
これに恨みを抱いた親度は、薩摩国島津義久と密かに通じた入田義実の誘いに乗り、天正14年(1586年島津氏が侵攻(豊薩合戦)すると、南志賀家(志賀鑑隆鎮隆父子ほか)と共に島津軍に味方することとなる。この戦いで、北志賀家の惣領である子親次はただ一人、大友氏に忠誠を尽くし、居城・岡城を守り抜いたため、大友氏は滅亡から免れることとなる。このため翌年、九州平定が為されると共に南志賀家は滅ぼされ、親度もまた義統によって自害させられた。
なお、義統と不仲になった理由については、主君・義統の愛妾であった「一の対」という女性を奪い取り、囲っていたことが露見し、蟄居させられたため、これを長年恨みに思っていたと『上井覚兼日記』に記されている。また、熱心な仏教徒であり、反キリスト教の人物であったため、子・親次の受洗にも猛反対したもされ、これも義統や大友家へ対しての反逆心の理由となったとされる。

=== 出典 ===




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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